昭和44年04月27日 特別奉修員
あの、櫻井先生がお届けされておられるのに、もう本当にあの信心てのは自分の心の一寸した使い方一つで自分が助かる、又はそれはおかげにつながって行くという意味の事を、自分の体験をここでお届けしておられましたがね、その通りですよね。もう自分の心のもう自由自在に御陰の受けられる方へ、自分の心の助かられる方へ、使うていけれる稽古を本気でやっぱりしなきゃだめだと思うね。
その毎朝の御祈念にこの村内の方で、あの幸若さんて言いますけども、もう五十過ぎになられるでしょうか、毎日参って見えます。あの後ろの方から御祈念しておられる方なんですよ。昨日あのここ最近ずっと目が悪くてお願いしてありましたが、昨日はいよいよあの目医者に行く事に家族中で話しを決めて。そしてあの昨日朝参っておられましたが、帰り掛けにあの皆が今の方達は特にそうですが。
必ずここでおかげを頂いて、そして目にこう付けて行かれる。信心が浅いからその色んな事分かられんけども、それ思い出してからお水を頂いてから、目をしっかりその御神水で洗うてから帰らせて頂いたちゅうんですよ。そしたらもうすきっとしてからあのうおかげ頂いてから娘が「今日お母さんあんた目医者に行く筈じゃったの」それがあんたこうこうじゃったけんで、もう目医者に行かんでよかろうごた、ち。
言うて今日までどうもないそうです。本当におかげ頂いて言うてからね。お届けがありましたが、昨日あちら15万からかかるなんか石であの石垣をするそうです、15万掛りますち、言いよんなさったが、それがそのなんかしらん昨日はとてもそういう風で有り難いもんですから、石垣が出来ておる上に何か、今どこでもセメンでずっと上をこうされるらしいですね。ところが昨日聞かせて頂いたら、それはあの請負の15万の中に入ってないとこういう訳なんです。
ああそげな事、それは家はそげんして貰わにゃいかんとじゃろうと、そのそりゃ相当金も掛るこっじゃから出来ん、と言いよったそうです。昨日とに角その有り難いというものがねあのうやっぱりそう云う事になる訳でしょうが。何時もより下げるから、他所の畑の中に、どんどんその水が入るそうですたい。もちろん向こうの石やさん達がせやならんとばってん、昨日は終日その事をま御用させて貰った。
請負の他ですけれどもそしたら夕べ、その石やさんの職人さんの方が見えてから、あのあの話しをあの帰ってから親にさせて頂いたら、今日はこうして一日中幸若さんあのあっちのおばしゃんが、その石を拾うちから上さん上げて片付けて貰うたて、話したらしいんですたいそしたら「そんならもう請負に入とらんばってんがそりゃしてあげにゃこてね、」ちてから言いよりますけん、ちょいとあんた喜びよるち言うち下さい。」
「先生本当におかげちゃ自分の心が有り難いとね。やっぱおかげ頂く」と言った様な事を、まぁの体験された訳ですけれども。目のおかげを頂いた事も有り難さがもう、次ぎのおかげにつながって行く。これは金銭のおかげの事だけでね。本当に私思うですけども、おかげってやはりつながっておらなければ駄目だと思うですね。続く続かないは別として、だからいかにその其処ん登呂湖をですね。
あのすっきりしない、いわば考え方と、すっきりしない例えば、凝りを積んでおると言った様な事が、詰らない事か馬鹿らしい事かと云う事を分からせて貰うてね。為に、矢張り私共はそのおかげやっぱ頂かなきゃね。有り難いものに成って来ない。有り難い時にはコロコロと有り難い方へ心向けて行けるんだけれども、中々どうでも是だけは胸がすっきりせんと言った様な事があったりしてね。
それではやっぱりおかげがそこに停滞します。まあ幸若さんのまあそうですね、ここもう2,3ヶ月位にして参りなさいますでしょうか、御理解しっかり頂きよんなさいます。毎日お届けして行かれる訳でもない、時々お届けして行かれる位ですけれども、少しづつ信心が分かって行かれよると云う事が有り難いです。
どうぞ。